納得できなければ薬なんて飲まないでほしい〜薬と健康の週間〜

薬と健康の週間 その他・日々雑感

「薬と健康の週間」をご存知でしょうか

10月17〜23日までの1週間は「薬と健康の週間」です.

今では健康と薬は切っても切り離せないほどの関係を持っていますよね.「お薬は病気を治すだけではなく,今の健康状態を維持することにも寄与しているんだ」と言われても,違和感を感じる人はそう多くはないでしょう.

しかし,お薬を飲むことについて,お薬を「正しく」使うことについて,その「正しさ」を考え始めると,自分はすぐにつまづいてしまいました.

そもそも「正しさ」ってどういう意味なんでしょう.
そもそも「正しいお薬の使い方」なんて存在するのでしょうか.

つらつらと思い巡らせ,悩みながらも患者さんやご家族さん,お客さんと接してきた結果,自分なりの「応え」にいきついたのでここに備忘録として遺しておきます.

注意!
ここではあくまでわたしとわたしの周りにいる患者さんやご家族さん,お客さんとの間で成り立ったことです.他の状況にそのままコピペできる保証もありません.また仮に問題が発生したとしても管理人は一切の責任は負いかねます.あくまで自分の頭と心で決断してご活用ください.

わたしの応え:納得できなかったら薬なんて飲まないほうがいい

いきなり身もふたもないことを言います.いろんな人からお叱りを受けそうですね.「医療者が,しかも薬剤師が “薬を飲むな” 発言とは何事か!」「お前もついにトンデモ医療者の仲間入りしたか!」「こいつオワコン薬剤師www」「自分の仕事を否定するのか!」…などなど.

まぁ,どの意見も程度の差こそあれ「正しい」ご指摘なのでしょう.一生懸命薬の適正「使用」に勤しむ姿勢は決して蔑まされるものではありません.患者さん,お客さんの立場を考えれば当然のことでしょう.

しかし,です.自分はそこに一つ視点が足りないのかな,とも思うんです.
それは,「薬を “飲むこと” “投与すること” が大前提になっていないか?」「薬を飲まないという選択肢がそもそも患者さんに与えられているのか?」「そもそも患者さんやご家族さんが治療を受けることに納得しているのか」ということです.

薬を飲む・投与することはもちろん今の苦しい状況から脱する為でしょう.治療を遂行して患者さんの生命予後を改善し,生活の質を上げる・維持する為に必要な営為でしょう.例えば癌性疼痛で七転八倒している患者にオピオイドを投与しない,もしくは肺炎患者に抗菌薬を使わない,などというのは医療倫理に照らし合わせても「ありえない」愚行であることは誰が見ても明確です.

しかしながら,医療の世界はそういった「(やや)切迫した状況」だけではありません.良い例が高血圧,脂質異常症,糖尿病といった慢性疾患の治療です.もちろんこれらの疾患にも高血圧緊急症や高トリグリセリド血症誘発性膵炎,糖尿病性ケトアシドーシスなど,緊急性を有する状態では患者の納得とか関係なく即座に動かなければ生命予後を改善できるはずもなく,よってやはりこういった切迫している状況は今回は割愛します.

わたしは別に薬なんて「絶対に」飲むななどというつもりは毛頭ありません.薬は患者さんの生活を支える道具としてその有用性をどの医療職よりも理解しているつもりです.にわかのアンチ薬物療法家と同じにしてもらいたくもありません.

ただし,治療をする相手はあくまで生きている一個人です.医療者側の解釈や目線だけで人さまの治療を断行できるのでしょうか.わたしは「できない」と断言します.だって,いくら専門職でも人さまの治療の,人生の決断に対して本人の意思をないがしろにしてまで薬を投与できるわけがありません.上司でも兄弟でも親でも神様であろうがそれはできないでしょう.

医療者へ:患者さんが自分の治療方針を決断できる支援をしていますか?

どうも医療者は「患者さんのため」を金科玉条にあげている結果,時に患者さんの「治療に対する納得」や「治療を待つ機会」や「治療を受けない」という自由な選択肢や決断を捨象しているように自分は思います.もちろん治療を行うこと自体は善意から生まれることです.それは間違いなく善行でしょう.人さまの命を救うことは至上の善行であり,生半可な素人では絶対にできない営為です.

しかし,なんども言います.その善意を相手にわかるように説明しているのか?と.ここ20年くらいは「インフォームドコンセント(説明と同意)」なるものが国内で実施されておりますが,あれも蓋を開けてみれば「同意書にサインお願いしまーす」という,いわば万一の訴訟の際の医療者の免罪符の代わりに成り下がっている側面も否めません.

大事なのは患者さんが「よし,これだけしっかり平易な言葉で伝えてくれれば,自分の状態や自分のこれからを考えて,納得いく決断ができそうだ」と感じてもらえるかどうかです.反対に,どれだけ医療者が自分たちなりに言葉を補っても相手に「それじゃわからん」と思われたらそれは失敗でしょう.

卑近な例ですが,過去に幾度も「薬をやめたい」「かかる病院を変わりたい(もしくはもう自己判断で変えてしまった)」という相談を受けたことがあります.

その時に患者さんやご家族さんから言われて衝撃だったのは,「なんだか自分の意思で治療を受けているというより,治療を受けさせられている・薬を飲ませられているような気持ちがして,それがすごく怖くなったんです」という一言でした.

その時に,相談の最後に自分が患者さん・ご家族さんに伝えた一言が,この記事のタイトルにもある
「納得できなければ薬は飲まないでください」
だったんです.

もちろんこの一言はいろんな問題を惹起するリスクはあります.薬を飲まないことによる予後の悪化,他職種との衝突(多くは処方医でしょう)…などなど.でもですよ,患者さんの人生なのに患者さん自身でそれを決められない,もしくは決めようとしない,決めても拒否された,なんて,それこそ人道に反すること愚行でしょう.患者さんは実験動物じゃないんだから.自分たちの興味本位やすれ違う善意で治療を断行してもただの自己満足にしか自分は思えません.

患者さんにして欲しいこと:ちゃんと質問してほしい,とことん納得するまで.そして自分の身体のことは自分で決めて欲しい

少しひどいことを言いますが,患者さんにも少し非があるようにも思います.それは,「自分の人生を,治療を自分で決めようとしない」ことです.よく,「自分の人生全てお医者さんに任せます」と言われることがあります.それはそれで本人の決断ですからそこを全否定はしません.しかし,そのわりには「実は薬を飲んでない」「飲んでいないことはとてもお医者さんには言えない」という相談も同じ人から受けることがあります.いったい何がしたいんだろうこの人は…?となんとも複雑な気分になることも多々あります.この薬代だって医療費という税金・公共事業から成り立っているのになぁなんてカネの問題を思い浮かべることもあります.人さまの心理は必ずしも合理的というわけではなく,いくつもの矛盾を抱えているのかなぁ,とも感じております.それが人なんだ,と.

だからこそ患者さん,ご家族さんに伝えたい,

ちゃんと質問をしてください.自分の体のことに,もっと興味を抱いてください.
あなたの体は治療はできるかもしれませんが,あなたの代わりに人生を過ごすことはできません.
人生一回きりです.できる限り後悔のないように,ちゃんとお話をしましょう.モヤモヤしたまま治療を受けないでください・薬なんて飲まないでください.
大丈夫,あなたがちゃんと理解できるまで,何度でもわたしは言葉をつむぎましょう.何度でも伝えましょう.そしてどんな決断をしても,わたしはあなたの味方です.あなたが不安や怒りで自分を見失いそうになっても,わたしはあなたを見捨てません.わたしはずっとここに居ます.今日一回で納得できなくてもいいです.なんどもここに来てくださいね.必要あらばわたしが進んで他の職種との板挟みになりましょう.間に入って,それぞれをご意見・気持ちを受け止めて,どう物事を進めたほうがいいのか双方にコメントしましょう.大丈夫,気にしないでください,それが薬を扱うわたしたちの仕事なんですから

と.

終わりに

薬と健康の習慣も後半になりましたね(記事を書くのが遅くなりました).
ただ,この期間だけではなく,通年でわたしはこういったスタンスで仕事をしております.

まずは患者さん,ちゃんとお話ししましょう.遠慮せずに.
そして医療者のみなさん,ちゃんと本人が「どうなりたいのか」を前提条件なしで聞き入れましょう.どんな決断でも尊重しましょう.

お互い,気持ちよく,後悔なく居られるようにしましょう.