「〇〇という栄養成分が健康にいい!」という情報に振り回されないように〜食事の基本は「おいしく」「楽しく」〜

食事の基本は「おいしく」「楽しく」 その他・日々雑感

久しぶりに見た健康番組に辟易

どうも,昼ごはんに食べたラーメンが意外と不味くてがっかりしたpharmasahiroです.

久しぶりにテレビをつけると,最近は必ずといって良いほどどこかのチャンネルで「〇〇を食べて健康に!」とか,「〇〇の食べ方は間違っている!正しい方法はこれだ!!」とか,「病気を予防する食べ方はこうだ!!!」とか,

…以下,省略.

もうほんとうんざりするような番組が増えましたね.今日は公憤として記事を綴りましょう.

健康番組の内容に振り回されないように

誰だって病気はしたくないものです.進んで病気になりたい人は,例えば学校や会社を休みたいという,やや不遜でナイーブな願望に由来するくらいなのではないでしょうか(そもそも休みたいとしか思えない学校や会社の存在自体が問題なようにも思いますが).いい歳して分別のある人間ならいつもと変わらぬ日常と身体を望むことは何もおかしい話じゃありません.

そして,生きている以上,栄養と水分(それに睡眠)は必須です.これは明らかであって異論はないですよね.体を構成する成分を外から食事という形で補うのは生命維持の基本中の基本です.誰でもその量や質に多少の違いや差は認めつつも,栄養も水分も摂取せずに過ごそうという人は仙人を目指さない人でなければ皆無でしょう.

だから,毎日どうしても行う,せざるを得ない「食事」というものに,そういった「いつもの自分を維持する≒健康」というものを期待することもまた当然と言えば当然です.反対に,過食,過度な飲酒,暴飲暴食などが過ぎれば体調を崩し,その先には生活習慣病が待っていることもまた事実です.

ですが,です.「〇〇というモノを食べれば健康が維持できるんだ.ぜひうちでもやってみよう」と期待するのは良いのですが,あまりそういったテレビの情報を鵜呑みにしすぎるのもどうかとぼくは思うんです.

なぜかって,テレビから出てくる情報の多くが,その大元のデータの曖昧性にも関わらず,口調が断定的で,二者択一で,一方の価値観(この場合は〇〇という食材・成分を摂るということ)しか認めていない,極めて偏ったものだからです.

例えば,今日もありました,「ネバネバ成分で風邪予防!」

「ネバネバ成分」とは納豆やオクラ,しめじ,山芋などのあのネバネバした食材のことを思い浮かべていただければ良いでしょう.その成分は「ムチン(mucin)」といって,これもまた食材によってムチンの種類が異なります.実は人間もムチン(の一種)を消化管内に分泌しています.

さて,番組の内容,この場合は「ムチン成分(mucin)を摂取することで風邪(感冒:common cold)を予防できる」を検証すべく,「mucin common cold prevention ncbi」でググって見たのですが,残念ながら該当する論文を見つけることができませんでした.

注意!:これはぼくのひ弱な検索能力によるものかもしれません.報告がありましたらご指摘をお願いいたします.

しかし,もし本当にちゃんと風邪が予防できるのであれば,そういうデータ(証拠)が存在し,そして何よりそういうデータが簡単に見つかって,誰でも参照できることが望ましいです.ひと昔もふた昔も前の「秘蔵データ」なる概念はインターネットのこのご時世ではもはや死語であり消える運命にある考えでしょう.

つまり,科学的根拠が容易には確認できないような,そんなよくわからない情報をテレビの健康番組は流しているのではないでしょうか.ムチンに期待している一般の方々,期待する気持ちはわかりますが,残念,そういった根拠はかなり薄弱なようです.

そもそも食事の基本は「おいしく」「楽しく」でしょう

それでもぼくは納豆やオクラは食べます.特に納豆は毎朝の朝食には欠かせません.なぜかって?それは,

「それを食べるのが好き」で,食べるのが「楽しい」からです.それ以外に深い意味はありません.

食事の基本とは料理を「美味しい」と思って,口に出して言って,そしてそれを「楽しむ」ことです.素材や調理の出来具合をしっかり,五感を総動員して「体験し」,それを慈しみ楽しむのです.それが,人が行う「食事」という営為なのではないでしょうか.

「〇〇という成分をこれだけ,それをこれくらいの期間に繰り返し行って…」云々かんぬんといった “食事” のやり方も,選択肢の一つとしては全否定まではしませんが,ぼくには健康なるものをあまりに意識しすぎたその姿勢は,

「ペットに与える餌を考えていることと同じなんじゃない?人間っぽくないよ」と思えてしまうんです.ひどい言い方ですが.

そういう,身体に対するいろんな作用を過剰に気にしていては,食事そのものを楽しむ・慈しむことは難しいでしょう.少なくともぼくには無理です.

そうではなく,ひとくちひとくち,しっかりと料理の味を噛み締めて,一日の始まりや日中,そして一日の終わりのご飯を心から楽しむ.そういう余裕のある食生活を送ってみてはいかがでしょうか.

それが意外と,「健康」なるものへの近道なのかもしれませんよ.